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    竹岡一郎著『蜂の巣マシンガン』

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      この句集から一句挙げるとすると

       

       ひまはりの哄笑を聴けかつ戦へ

       

      である。

      この句を「鷹」でみたとき、羨望を覚えたものだ。

      完璧な一物俳句であり突き抜けた高みへ達している。外側から中に入ったのではなくて、
      竹岡は最初からひまはりと一緒に内におり、
      ひまはりと自分がいっしょくたになっている。
      ここまでぼくはたぶん植物と一体化できないと思う。植物との間に距離をおくと思う。

      竹岡一郎はシャイでねじれているが、そのねじれを五・七・五という簡素な形でよく処理できるものだとずっと思っているのだが、

      この句など彼の本分の屈折した心理を利して、ぼくには考えつかないねじれの文体を俳句に実現している。

      ふつう俳句のいい形というのは、流れである。

      たとえば江夏豊の剛速球であったたり、野茂英雄の消えるフォークボールの軌道であったり、田中将大の高速スライダーのえぐるような線であったりするのだが、

      竹岡のこの句の軌道はすかっとたものではなくて内容のようにねじれている。

      結句は字余りであるが、この作為にこそ竹岡の詰め込み主義のぎりぎりの形を見るのである。

      むかし貝塚ひろしの人気野球まんが「くりくり投手」があった。くりくり投手の投げる魔球「タマタマボール」は、ボールが二つも三つも見えながら打者に殺到するものであったが、竹岡の文体は、まさに「タマタマボール」である。

      すなわち、竹岡の世界は物語であろう。ふつう物語は俳句では王道ではないとされているが、竹岡の天邪鬼は物語の世界にずかずかと踏み込む。

      そうしておきながら、

      「私は、高野素十の句が好きである」とのたまう。

      嘘だろう、と言いたいのだが、あんがい本音なのかもしれない。

      こういう句もあるからだ。

       

         寒鯉の鱗剥ぐ音響きけり

       

      しかし、こういった向日性の健康な世界なら別に竹岡でなくても、天地わたるでもいい。

      竹岡はほんとうは、ねじれていたくないのかもしれぬ。

      読むほうからすれば、ずっと死ぬまでねじれていて欲しいのだが…。


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